未来永劫

テクノロジーの発達により利便性が向上する一方、世界は簡略化された。人と人との関係が始まるには直接的に出会う事が第一歩だと思う。現在はコロナ禍なので、手段の一つとしてインターネットも主流ではあるが、その繋がりを作るのも簡単になり過ぎた気がする。直接出会わずに見知らぬ他人と画面だけでやり取りが出来てしまう。以前は人との連絡を取るならば、電話番号を聞く、メールアドレスを聞く等、ちょっとした相手への配慮を伴う行為が必須だった。メールで初めからやり取りするにしろ丁寧な言葉使いが必要だ。しかし、今はSNSのアカウント一つあれば自動販売機のようにボタン一つで終わる。「このアカウントをフォローしてくれれば大丈夫」といった教えやすさも一理あるだろう。しかし、そこから出てきたのは何となく繋がった振りと、節操も無くなった心の内の掃き溜めへの招待状であった。付き合いが浅く、よく内面も分からない人の、そのまた先に繋がっている人の、心の内を覗き見せるような言葉の羅列が、SNSのタイムラインに流々と流れていく。だったら見なければいい。御もっともな意見だと思う。しかし、そのメッセージの書き手側の言葉の選択やセンスもあるだろう。何でもかんでも書いて良い訳ではない。その判断もつかないのなら、言葉を発信する者として恥ずるべきだろう。

 

ちょっとした言葉のリスクはそこら中にのさばっている。物の言い草や固まった価値観、エゴイズムによる歪曲が肥大化して拡散され、他人の心理に悪影響を及ぼしてしまうのであれば、それはやはり問題だと思う。そのような悪影響を及ぼすリスクファクターは指摘、改善しなければならない。当の本人の意識が改善の方向に向いていなければ、微力だとしても、周囲にいる我々が気付かせ、改善の方向へ向かせる努力が必要だろう。捻じ曲がった正義感がそうさせているなら、更なる混沌に招かれ、多くの人同士の争いへ発展しかねない。

 

物体が形ある物である限り、いずれ壊れてしまう。人の教えも受け継がれなければ、それもまた然り。負の歴史から学んだ教訓が消えてしまう。

 

世界は簡略化、軽薄な時代になっている。しかし、人の心にある温もりは未来永劫であって欲しい。

 

全ては自分達の意識と行動次第である。

 

=渡部アルヲ=